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核兵器をなくすきっかけがイギリスに!

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福澤さんの高江報告

本会の旅費支援で高江のヘリパッド阻止行動に参加された福岡市の福澤さんから報告と写真を受け取りました.ここに掲載します.(写真は順次増やします.)
なお,旅費支援は一旦終了しました.「トライデント・ハンドブック」の売り上げが貯まれば再開します.また,補助を受けても報告の義務があるわけではありません.

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高江報告 (2013年12月20日~28日)

(車のナンバーや人名は架空のものに変換しています.)

12月20日(金)
那覇空港に10時半につき辺野古を目指す。各駅停車バスに乗り途中気分が悪くなり、途中下車し、辺野古に3時頃着く。テントには5,6人しか居らず寂しい。みんな仲井真知事が辺野古埋め立てを承認しないように訴えるために、県庁前に行っているということだった。仲井真知事のことで沸き立っていた。辺野古のフェンスが見えた。フェンスとの間に辺野古漁港があり、辺野古漁協は賛成なので複雑な思いがした。その後ろの道を通りフェンスに近づいた。全国から送られて来た沢山の横断幕がくくりつけられていた。さすが高江より多く、辺野古は全国に知れ渡っている。これを米兵や防衛局や反対派の人達がはがしていくという。たまたま見つければ、取り返すのだが、誰もいないときに取られてしまうこともあるという。私は辺野古の横断幕はまだ作ったことがない。作らなければと思った。高江ももう一度作りたい。高江でお会いしたTさんにお会いできるかと思っていたが、午前中に帰られた後だった。残念。Tさんの話をすると、みんな「あの人には叶わない」と一目も二目も置いているようだった。

4時近くになると、片付けが始まった。「えっ、4時まで」と驚たが、何も支援できないので、せめて片付けでもと手伝った。湯飲みやお茶の道具等を車につめこむ。高江は置いたままだけど。近くの事務所に運び込んだ。小屋の後ろに野菜が作ってあった。二株もらい、みんなは引き上げていった。私は、Fさんの迎えを待って、彼女の車で高江に向かった。高江に付いたのは、今回も夜8時ごろだった。食事は出来ていた。沢山の食材を買い込んで、またも食事づくりをやろうと張り切っていったが、今回は一度も夕食を作らずにすんだ。幸い作る人がいたことと、朝6時~夜9時までの座り込みで、前回のような時間が取れないのも理由の1つだった。
DSC_0081.jpg

12月21日(土)
朝5時に飛び起き、おにぎりを作り、メインゲートに朝6時集合。ゲート前で車に寝泊まりしていた人も起きてきた。総勢15人位。朝の打ち合わせが始まった。作業員は中に入っていて、工事は続いているという。しかし、私たちはしぶとく監視活動を続けるのだ。立川から安波までの長い導線を監視する。伊湯岳もだ。担当が決まる。私はメインになった。
工事業者「丸政」は現れない。非常に退屈。ただひたすら直線運動をする。私は、横断幕を拾い読んだ。夏と変わっていた。「丸政工務店ヘリパッド工事を即時中止せよ!基地の県内移設に反対する県民会議」「沖縄防衛局はヘリパッド工事を即時中止せよ!沖縄平和運動センター」「水は命のみなもと県民のみずがめ高江の森を守ろう!比喜川を蘇生させる会(沖縄市)」
夏と変わっていたのは、メインゲートの左右に小さいテントが作られていたことだ。ちょっとした日よけや雨よけにもなる。そして、側溝に新しい板がかぶせられていた。そのテントには、「NO FLY ZONE」の旗と「OSPREY NO」の立て看が立てられていた
●N4から「チェーンソーの音がずーとしていたが、11時10分にやんだ。」と連絡が入った。
●「町田機工の4トントラックが北上中」と連絡がありみんなゲート前に立ち阻止体制とる。が、ゲート前を通過。町田機工はリース会社だから、「丸政」が借りてる可能性があるのだ。
●今日はメインゲートには5,6人いるが、3人の時は横断幕も使って止めたこともあると聞いた。
●東京と大阪から4人来られた。「標的の村を見て来た」と言われるが、ちょっと立ち寄ってすぐに帰えられる。私たちも最初はそうだったので、次を期待し、「仲間を連れて支援に来て下さい」と、オルグをする。
●Sさんご夫婦が見えた。毎日大山ゲートに行っているのだそうだ。その時の妻さんの話。右翼が来て「お前は中国の工作員だろう」と言われたそうだ。カメラで写真を撮ろうとするので、手で払うと「暴力だ」という。「年寄りから暴力振るわれたと言うてこい」と言うと黙り込んだ。「年寄りも役に立つ」と彼女は胸をはる。沖縄の女性は強い。
●14時49分「ん123の4トントラックが北上。丸政では?」という情報が入って来た。4人しかいないので、横断幕を広げた。緊張が走る。そのトラックのドライバーは頭を下げて通り過ぎた。その後売店で伝票を出してたから違うだろうということになった。
●南から、Nさんが「456の4トントラックが北上中。456はリース会社町田のものだが、前にも入られたことがあり、丸政の社員が運転している」と連絡してきた。メインで構えていたら、途中でのろのろ運転したりあやしい。Mさんがトラックの前を走りプレッシャーを掛けている。一度メインゲート前を通りすぎ北から戻ってきてメインゲートに突っ込んだ。その時たまたま8人いたし、N4やメイン北からもかけつけてきたので、阻止できた。トラックは引き返し、しばらくメインゲートテント前に止まっていたが、その後南下し、新川(あらかわ)ダム回りで売店に行き、昼食を食べ帰って行ったそうだ。Nさんが丸政関係車両ということに気づいたことが勝因となった。久し振りに勝利感を味わった。

12月22日(日)
目覚ましのセットミスで、6時15分に目覚めた。誰もいない。非常にあせった。Tちゃんが迎えに来てくれて車でメインゲートにつれて行ってくれた。

●S2さんの話
S2さんは「会社が倒産して、路上生活者になり点々としていて、福岡市の香椎の海岸にも来た。松本清張の「点と線」に出てくる海岸だと思って見た。それから沖縄に渡り、辺野古にたどり着いた」のだそうだ。
名護市長選について、「稲嶺さんと共産党の比嘉さんが話し合って、辺野古賛成だった稲嶺さんが反対を決意し、一本化し、当選した。今はしっかり反対してある。」
「那覇市長は、自民党県連をやめた。自民党議員の仲里さんも自民党を止めた。県会議員14名は反対で、3名は賛成。自民党の県議は5人組の撤回を認めている。県議会は反対。」と説明してくれた。 
●月曜から土曜まで作業が続いている。日曜はやらないと約束しているが、今のところやってないだろう、ということだった。
●メイン北(メインゲートの北300メートルほどの地点)にMさんが作った柵を、作業員が鉈(なた)や鋸でめちゃめちゃにこわした。ビデオに納めてるそうだ。メイン北から基地内に4,5分で行けるので狙われやすい。そこを柵で塞いでいるのだ。
(※横断幕だと傷つけてはいけないそうだ!知らなかった)
●辺野古から支援に来ていた女性が、夜メイン北を監視していたら、ガサと音がしたので、そ~っと覗くと、作業員が出ようとしていた。すぐにメインゲートに連絡して、みんなが駆けつけて阻止したそうだ。
●普天間座り込みで、防衛局が米兵に被害届を出させ、事情聴取を始めたそうだ。
Aさんも居たが、事情聴取はされてない。がみんな彼を心配していた。
●Iさんは韓国から来た教師。韓国では10年勤めたら、半年の研修休暇が与えられるそうだ。彼は、沖縄じゃなくて高江を希望して来たそうだ、しかもそのために2ヶ月日本語を勉強して来たそうだ。だいたいしゃべれる。立派なものだ。
韓国では、先生に感謝する日があるそうだ。だから彼は日本の教師のように引きつった顔ではなく、いつもにこにこ穏やかなんだ。
●T2さんは、「韓国で活動していて、40回程韓国に行った。韓国の基地反対闘争と沖縄が結びつくのをいやがっているのか、韓国の警察はKICのように厳しい。自分もつかまってめちゃくちゃされた。」「母が教師で、デモに連れて行ってくれた。韓国でも沖縄でもつかまった。韓国での挨拶で辺野古についてしゃべった。全国放送された。それからピッタリ警察がついてくるようになった。警察から『T2さんいつまでいるの』と言われた。そして、強制送還され、入国拒否された。」「ノムヒョンのころから厳しくなって、イミョンバク、パククネと厳しい。」「秘密保護法は、韓国は廃棄した。日本の保護法は韓国のをコピーしたようなもの。」彼は「世の中ひっくりかえさんといかん」と言ってた。

12月23日(月)
 今日もおにぎりを作り、6時にメインゲートに駆けつけた。ゲート前に車3台が止まっていた。Gさんはトラックの荷台にまだ寝ていた。屋根もないし「寒くないか?」と尋ねると「寒くない。運転席は眠れない。」と 言っていた。私は非常に驚いた。みんな60代なのだ。
●今日は、「丸政」の作業員が車でうろうろしている。車のナンバーは「丸政」の車だとわかっている。車の追跡が始まった。メインゲートは緊張が走った。みんな一列に並んで阻止線を張る。
丸政の車がやってきた。作業員が降りてきた。馴れ馴れしく話しかけてくる。私は最初味方が前触れに来たのかと思った。彼は「もう一ヶ月も作業員が出てない。正月もあるので出してくれ。家族もあるし。」と言った。メインゲートはただ押し返すだけという戦術だったので、追い返した。その後こちらの代表格の人物と25日に話し合うと約束したそうだ。
この人は先日、N4テントで受け付け名簿に記名し見張り台に登って工事現場がどのくらい見えてるか見ていったそうだ。あまりにも馴れ馴れしい態度に騙されがちだ。私も一瞬騙されて「福岡から来た」と言ってしまった。
●11時頃米軍ヘリがゲート周辺を旋回している。「救難ヘリ攻撃型UH46か」とKさんが言った。米軍をつり下げて飛ぶかと見ていたが、それはなかった。
●11時45分にFさんが森岡農園の箱詰め野菜を届けてくれた。一箱2000円。本土にも注文があれば送るそうだ。森岡農園は自然農もしているということだ。一度見学したいが、時間が取れない。
●Iさんの韓国の話を聞いた。学校は8時30分から4時30分。食事の時間も勤務時間だから早いのだ。早く終わるので、女性の教師が多い。男性が少ないそうだ。Iさんの妻さんも中学校の教師。彼は小学校の教師。家では料理は妻さんがやり、他の仕事はIさんがやる。でも妻さんが強いらしくて、今、解放されてると笑っていた。そのIさんに、私たちは夕食を頼んでいる。私たちは9時まで監視をしてツータン屋に戻ると彼が食事の用意をしていてくれる。私たちは彼をこき使っているのではないかと気が引ける。しかし、彼は6時に帰るのを希望する。後で聞いた話だが、彼は6時に帰って勉強をしているのだそうだ。朝6時から夕方6時と言う約束で彼は支援しているのだそうだ。
彼の料理はとても美味しく、巨大茶碗蒸しのような卵料理と、野菜炒めと、スープだ。とても丁寧に料理をする姿を見て感心した。私も帰福して、その卵料理をつくってみたら、とても美味しかった。彼は実は韓国で料理もしてるのではないかと、みんな噂していた。
●今日は月曜日。N4テントに大宜味村から「9条の会」の人達が来ていると言っていた。夏に来たとき、「9条の会」の人達が来て、とても賑やかにおしゃべりされていたのを思い出した。月曜日と決めてあるのだ。Oさんご夫婦と対馬丸の生き残りのT3さんたちである。私はメインゲートなので、今回はお会いすることができなかった。

12月24日(火)
 今日も5時に起き、おにぎりを作り、メインゲートへ。6時のメインゲートはまだ真っ暗で、とても寒い。 メインゲートはやんばるの中でも一番高く、風も強く寒い。沖縄は暑いと思い、Tシャツで来たと言う男性も居た。私は以前沖縄の修学旅行で風邪を引いて入院したことがあるので、万全の寒さ対策をしている。また、沖縄の冬は雨が多い。パレスチナも冬は雨が多く「雨」をシターといい、「冬」もシターという。私はこの沖縄の雨を勝手に「シター」と呼ばせて頂いている。
●トレーラーの番号は前と後ろは違うそうだ。みんな番号をチェックするのだが、トレーラーは見損なわないようにしないといけない。
●年末と年始の監視体制が決まった。
28日~30日・・6時から夜9時。夜9時から6時(車で泊まり込み)。の24時間体制
31日~ 2日・・6時から9時。
3日~    ・・6時~夜9時、夜9時~6時の24時間体制に戻す。
31日~2日は出来るだけ、支援に来てもらって、いつもやってる人を休ませたいと言っていたが、結局来手が無く、I2さんご夫婦がやろうかと言ってあった。誰か福岡から行ける人はいないものか。

12月25日(水)
 今日は、売店前の監視となった。話相手も無く非常に退屈。しかし、よく車が通る。ここは高江の目抜き通りなのだということに気づいた。高江唯一の売店にも良く人が入ってくる。I2さんのお父さんが2回往復されたが、N4テントに向かっておられて、私には挨拶程度。ちょっと寂しい。売店のおじさんが戻ってこられたので挨拶したら、コーヒーの差入れをしてくれた。ちょうどS2さんが来られたので、コーヒーを飲んでもらった。申し訳ないが私はコーヒーが飲めないのだ。でもおじさんの気持ちに答えて、売店で売っているキムチソバを頼んだ。サービスしてくれたのか、山盛りでうんうん言って食べた。ところが、今日は水曜日。実は今日はNさんご夫婦が沢山の料理を作って持ってこられる日だった。この日は村の子ども達や住民の人達が、テントに来て、食されるのだ。食された住民の方々や、子ども達がぞろぞろ帰って行くのが見える。Nさんがわざわざ来られて「交代しましょ」と言ってくれた。しかし、私は大盛りのキムチソバと格闘中だった。しばらくすると、今度はMさんが「交代しよう」と来てくれたが、私の様子を見てあきらめて戻られた。いつも水曜日を楽しみにしていたが、今回は完全に忘れていた。NさんもMさんも残念に思われたかもかもしれないが、一番残念に思ったのは、私だった。それほど私は、この支援でいっぱいいっぱいだったのだろうか?I3さんも心配して来てくれた。そのとき「工房」の見学を申し込んだ。
●2時半過ぎ「7890車」が売店の敷地内に入って来た。控えの番号と一緒だが、色が違う。控えは白となっているが、薄いピンクがかったグレイだ。一応そのことをメインゲートに伝えた。メインから「何人乗ってるか調べてくれ」と指示がきた。私は車を降りて近づいた。ドライバーは降りて作業服の上から、新品の青いつなぎ服の上下を着つつあった。その男の顔は昨日見た「丸政」の交渉係の男だった。メインゲートに連絡した。つまり男はこれからの交渉に向かうところだったのだ。男は車で私に近づいて、「沢山集まっているのか?」と聞く。「知らない」と言うと、「今から行くと伝えときなさい」と言って北上した。3時にメインゲートで話し合いが行われたようだ。
●後で聞いた話だが、メインゲートから「丸政」の作業員は出す。トラックを入れたがっているが、「入れない」。「丸政」は「31日から5日まで作業はしない」と言っているようだ。しかし、この隙にトラックを入れるかもしれない。ということで、反対住民側は正月も阻止行動は続けるということになった。27日の1時にメインゲートから作業員が出てくる。が、「作業はするなという条件付き」。反対住民の監視行動は30日まで24時間体制は続ける。1月3日から24時間体制にもどす。31日から1月2日までは、朝6時から夜9時までとなった。正月無しの凄い闘いだ。

12月26日(木)
 今日はご飯が足りず、朝炊いたので、おにぎりが遅れた。
今日は人数も多いし、「工房」見学をしたいので、メインゲートにいることにした。途中メイン北を頼まれたが、すぐ戻った。1時にI3さんが迎えにきてくれた。「たちがあ」に行った。滝があり、切り立った谷がある絶景だった。洒落た西洋料理を食べた。「山瓶」や「水母」や「ムーラン」も素敵だが、こんな店もあったのだ。知らなかった。
食事をしたあと滝までおりて行った。その後、「工房」を見せてもらった。大きな「工房」で沢山の木々が積み重ねられていた。工具をつかわせてもらっている男性が1人作業をしているだけで、あとはかなり長い間作業がなされていないようだった。そこには闘争に掛けるI2さんご夫婦の思いが感じられた。漆塗りは時間が必要で出来ないので、他に頼むのだそうだ。収入が無い中での生活は大変だろうと思われた。 
  、
12月27日(金)
 今日は、Fさんに頼まれて、N4テントに行った。彼女はちょっといて出て行った。がM2さんが当番で来られた。M2さんは仲井間知事の「辺野古埋め立て承認」の裏切りに頭に来て、一日中ぼやいていた。「知事は反対すると思うたんだが、裏切られた」「明るい正月が迎えられると知事が言った」と怒っていた。
 物見櫓から、N4ヘリパッドを覗いていると、1人作業員が現れ、N4-1からN4-2へ歩いてきた。しばらくすると、また1人現れN4-2へ歩いて行った。N4-2はここからは見えない。作業音はしない。作業をしないと、反対住民と話あってるからだ。10分ほどして、パゼロと4tトラックが現れ、N4-2へ消えた。私が櫓から見ているからか、作業音はしない。30分程して、車と作業員はN4-1の奥へ消えていった。
今日のN4テントは教師が多い。大阪教組、奈良教組。
S2さんの大阪市立大学の後輩が尋ねてきた。京都の花園大学教授だそうだ。M2さんは「Sさんは大学出だったんだ。そういえばよく本読んどるな」と言っていた。
《N4テントで聞こえてきた話》
●メイン北のMさんが作った柵を作業員が鉈で叩き壊したので、防衛局に抗議したら「自分の提供区域にある邪魔な物を取り除いただけだ」といったそうだ。「あなたたちの歩いている道路も提供区域ですよ」と。「ビデオに撮ってる。放送したらどうなる」と言ったら、それからはしなくなったそうだ。
●「丸政」の社長は県の土木組合の会長。
●仲井真知事は3500億もらうと言っているが、500億はもともと国の予算。満額出 る訳じゃない。
●環境アセスはずさん。
●オスプレイ低周波が怖い。胎児の流産の恐れがある。小学校の上を飛んだ。学校の横の畑にいたら、影が校庭にはっきり見えた。住居に近いところは飛ばないという約束なのに。高江のヘリパッドは住居から300mヘリパッド自身が約束違反だ。
●仮処分提訴。7歳の子も入ってた。彼女は学校に行っていて、座り込み現場に行ったことない。違う人の写真だった人もいる。
●高江のスラップ裁判、祝い島も。アメリカは半分はスラップ裁判だ。日本もそうなる。
●尖閣列島も、中国、台湾、沖縄は欲しい魚が違うから、仲良く取ってたし、情報交換も していた。
●大阪教組の人「橋下の友達が教育委員長」
「 日の丸」揚げんと校旗を揚げとった。が「日の丸」あげんと条例違反だという。

今、12時10分。13時にメインゲートから作業員が出ることになっている。が、私はN4テントにいるので、状況はわからない。
 後で聞いた話だが、交渉人は「作業員9人が出る」と言ってたのに、10人出てきたそうだ。N4テントの物見櫓からは、7人と確認していたが、10人だったとは。1ヶ月間中で生活していたためか、沢山の荷物を抱えていたそうだ。
車両は出したかったそうだが、出さなかった。
 交渉人は「鈴木」と名乗ったそうだが、N4テントの名簿には、「田中」となっている。「鈴木」が本名かどうかは定かでない。

12月28日(土)
 今日は、帰福するので、メインゲートに居ることにした。
すると、I2さんから「工房」を見せてあげると言ってくれた。製作しているところを見せてもらっていなかったからだ。板を直角に切る所などを見せて頂いた。小さいお位牌から大きいお位牌まで、白木のままだが、ずらりと並べてある。「1つどうかね」と言われた。福岡の家にあるお位牌と違うし、金額も高いのでお断りした。福岡のは、先祖からのお位牌を重ね合わせて立て長い箱に入っている。沖縄のは、横にみんなの分が見えるように並んでいる。お位牌が入らなくなると、大きいのに買い換えるのだそうだ。1万円から大きいのは10万円もするそうだ。私は、その買い換えた古い方をもらえないかと思った。
 そのあと、I2さんは、おじいの家に案内してくれた。そこには昨日作り上げたというお位牌が飾ってあった。とてもきれいな螺鈿模様であった。標的の村で、I2さんは、闘争で漆を塗る時間が取れないと言ってあった。そのときどんな漆塗りだろうと思っていたが、ようやく見ることができた。まばゆい思いで見た。はめ込まれた貝殻がとてもきれいだった。I2さんは、ご先祖のお名前を読んでくれた。帰福して、あの螺鈿が忘れられず、1つ買いたいなーと思っている。先祖全部入れると高いので、少し省略させてもらうけどね。
 I2さんに、「闘争で、生活を犠牲にしていますね。」と尋ねると、「いいえ、犠牲ではない」と言われた。生活を投げ打って闘いに打ち込んであるその姿勢にあらためて、その思いの凄さを思い知らされた。米軍に対する怒り、日本政府に対する怒り、そして、大和んちゅうの鈍い差別性に対する怒りがそこにはあるのだ、と思った。
I2さんの言葉から、以前Nさんに言われた言葉を思い出した。「I2さんを福岡の集会に呼んで、あんたたちは高江に行かんのか?高江の闘争からI2さんを引っ張り出しといて」と言われて、私は高江に行くようになった。私の原点を忘れてはならない。
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