イギリスの平和運動家アンジー・ゼルターさんの"Activism for Life"(仮題「活動家という生き方―非暴力が世界を変える」)という本の翻訳出版計画を進めてきましたが、ようやく今月末(9月30日)に出版社に原稿を送る段階まで来ました。「400部買取り」と諸経費の資金捻出のためのクラウド・ファンディング(CF)を開始しました。12月8日までです。
この本の出版の意義についてのPRと、CFのお願いも兼ねて、下記のとおりZOOMセミナーを開催します。どうかご参加下さるようお願いします。
翻訳チームの大津留・川島・豊島が、著者アンジーとの関わり、翻訳箇所の感想、出版への思いを語ります。連休の土曜の夜、コンパクトに1時間を予定しております。
このセミナーの案内チラシも添付します。どうかよろしくお願いします。
--- 記 ---
日時 2023年9月23日(土)20時-21時(日本時間)
内容 翻訳者3人によるプレゼンテーション
ZOOM ミーティングID:924 651 3214 パスコード: 803142 (または次をクリック)
https://us02web.zoom.us/j/9246513214?pwd=VmRKTnFGSXZ0b056WmNJOXBZci90QT09
クラウド・ファンディングのサイトはこちらです。
https://camp-fire.jp/projects/view/675547
右側のコラムの「リンク」の3番目にある「トライデント・プラウシェアズ支援サイト」は、これまでのホストが今年1月に閉鎖されたため、次に移転しています。(資料提供のためで、更新はありません。)
http://ad9.org/goilsupt/goilsupt.html次はアンジーさんの新しい本についてのニュースです。(ペガサス・ブログ版で既報)
イギリスの平和運動家アンジー・ゼルターさんがこの2月に、自身の活動についてまとめた本"Activism for Life"を発行しました。
https://www.yumpu.com/en/document/view/65322280/activism-for-life-by-angie-zelter-sample

251ページのボリュームある本で、彼女の多様な活動歴がまとめられています。始めの2章を読んだところですが、まず日本で見かけることのない貴重な、しかも面白い本に間違いありません。たとえ少数であってもメディアを引きつけ、仲間を増やし、社会に影響を与える、そのような活動の方法、ノーハウが詰まっています。
女性たちだけで米軍基地への侵入を繰り返し、ついには閉鎖に追い込んだ「グリーナムコモン」運動に始まり、地元での「スノーボール」キャンペーンの話に続きます(2章まで)。
「スノーボール」はソ連に対抗してアメリカがヨーロッパに中距離核(INF)を配備しようとしたのに対する抗議で、全ヨーロッパで同様の運動が盛り上がり、ついにこれを全廃する条約が米ソの間で締結されました。平和運動の成功例と言っていいでしょう。
その部分の一節を、仮訳して引用します。(原書29〜30ページ)
【“トライデント・プラウシェアズサイト移転・アンジーさんの新しい本”の続きを読む】

2007年の大学教員による核基地封鎖+セミナー,“Academics Seminar Blockade”の記録,"Tackling Trident"が出版されています..
佐賀大学図書館にあります.
本会の旅費支援で高江のヘリパッド阻止行動に参加された福岡市の福澤さんから報告と写真を受け取りました.ここに掲載します.(写真は順次増やします.)
なお,旅費支援は一旦終了しました.「トライデント・ハンドブック」の売り上げが貯まれば再開します.また,補助を受けても報告の義務があるわけではありません.
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高江報告 (2013年12月20日~28日)
(車のナンバーや人名は架空のものに変換しています.)
12月20日(金)
那覇空港に10時半につき辺野古を目指す。各駅停車バスに乗り途中気分が悪くなり、途中下車し、辺野古に3時頃着く。テントには5,6人しか居らず寂しい。みんな仲井真知事が辺野古埋め立てを承認しないように訴えるために、県庁前に行っているということだった。仲井真知事のことで沸き立っていた。辺野古のフェンスが見えた。フェンスとの間に辺野古漁港があり、辺野古漁協は賛成なので複雑な思いがした。その後ろの道を通りフェンスに近づいた。全国から送られて来た沢山の横断幕がくくりつけられていた。さすが高江より多く、辺野古は全国に知れ渡っている。これを米兵や防衛局や反対派の人達がはがしていくという。たまたま見つければ、取り返すのだが、誰もいないときに取られてしまうこともあるという。私は辺野古の横断幕はまだ作ったことがない。作らなければと思った。高江ももう一度作りたい。高江でお会いしたTさんにお会いできるかと思っていたが、午前中に帰られた後だった。残念。Tさんの話をすると、みんな「あの人には叶わない」と一目も二目も置いているようだった。
4時近くになると、片付けが始まった。「えっ、4時まで」と驚たが、何も支援できないので、せめて片付けでもと手伝った。湯飲みやお茶の道具等を車につめこむ。高江は置いたままだけど。近くの事務所に運び込んだ。小屋の後ろに野菜が作ってあった。二株もらい、みんなは引き上げていった。私は、Fさんの迎えを待って、彼女の車で高江に向かった。高江に付いたのは、今回も夜8時ごろだった。食事は出来ていた。沢山の食材を買い込んで、またも食事づくりをやろうと張り切っていったが、今回は一度も夕食を作らずにすんだ。幸い作る人がいたことと、朝6時~夜9時までの座り込みで、前回のような時間が取れないのも理由の1つだった。
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